仕事を頑張りたい
バリキャリウーマンになりたい
どれも本心だけど、いつもと違う観点から考えてみた。気づいてしまった。
誰かに愛されたいけど、本物の愛を与えあえる人には巡り会えないから仕事をして愛されようとしていることに。
希死念慮に陥るにはふたつの条件があるらしい。
「自分が社会や誰かのお荷物になっていると感じた時」
「自分に居場所がどこにもないと感じた時」
周囲の大切な人にパートナーが出来ることは幸せだ。友達が人生に幸せを見出してイキイキしている姿が愛おしい。そして、そんな彼女達の人生に私が必要であることも理解している。
頭ではわかってる。だけど本能が語っている。もう本当の意味で人生の支えにはなってくれないのかと。パートナーの有無と、私のピンチや人生に手を差し伸べてくれるかは別問題であることはわかっている。わかっている。私は友達やご縁に恵まれてきたし、大切にしてきた。これからもしていきたい。
一瞬だけ、「死んでみたら」などと最低なことを思い浮かべた。人生で初めてだった。
皆に愛されていること、別れを惜しまれていることを実感した日と同日とは思えないが、頭で理解するだけでは自殺は病まないのだと本能が理解した瞬間でもあった。
有名人の自殺が多く見える理由も、ちょっぴりわかった気がする。
1人でたくましく生きていけるこの時代に、スキップを踏みながら生きていける強い女にいつかなりたい。