robokochanのブログ

頭の中をスッキリさせ隊

強い女になるしかない

仕事を頑張りたい

 

バリキャリウーマンになりたい

 

どれも本心だけど、いつもと違う観点から考えてみた。気づいてしまった。

 

誰かに愛されたいけど、本物の愛を与えあえる人には巡り会えないから仕事をして愛されようとしていることに。

 

希死念慮に陥るにはふたつの条件があるらしい。

 

「自分が社会や誰かのお荷物になっていると感じた時」

 

「自分に居場所がどこにもないと感じた時」

 

周囲の大切な人にパートナーが出来ることは幸せだ。友達が人生に幸せを見出してイキイキしている姿が愛おしい。そして、そんな彼女達の人生に私が必要であることも理解している。

 

頭ではわかってる。だけど本能が語っている。もう本当の意味で人生の支えにはなってくれないのかと。パートナーの有無と、私のピンチや人生に手を差し伸べてくれるかは別問題であることはわかっている。わかっている。私は友達やご縁に恵まれてきたし、大切にしてきた。これからもしていきたい。

 

 

一瞬だけ、「死んでみたら」などと最低なことを思い浮かべた。人生で初めてだった。

 

皆に愛されていること、別れを惜しまれていることを実感した日と同日とは思えないが、頭で理解するだけでは自殺は病まないのだと本能が理解した瞬間でもあった。

 

有名人の自殺が多く見える理由も、ちょっぴりわかった気がする。

 

1人でたくましく生きていけるこの時代に、スキップを踏みながら生きていける強い女にいつかなりたい。

今日見た夢(殴り書き)

何故か美大?に編入する。しかも4年間通うらしい。最初のオリエンテーションに向かう時に列を作らされた。私の隣はとよだった。(昔の同級生)席も隣、後ろふたつは外国人の名前で知らないイケメン風な人が座ってた。

 

隣の隣の人がめっちゃクールが売りの有名人(モドキ)だった。初日に知り合った私の3個後ろのもえちゃん(だった気がする)が、Twitterで彼の本当の姿を見つけたといい、彼がキラッキラの演技をしてる動画込のTwitter垢を見せられた。

 

思わずスクショしてその日寝たら、学校のラジオで誰かにスクショされたってそいつが話してて若干ビクビクした。

今日見た夢(寝ぼけながら)

中学の時の同級生(幼稚園も一緒、メガネ、バスケ部)が何者かに攻撃されて眠らされる、左の乳首になにか注射をされる。そこはみんながいる教室で、みんな先生が集まれと言うから席を離れて黒板の前に集まってしまっまた。同級生は机に突っ伏しているが、いつも授業中寝ているため誰からも怪しまれず気づいて貰えなかった。そこからその同級生が私ってことになり、私は机になけなしの力で指でSOSを描き続けた。

隣の席の男の子が気づいてくれたので、必死に攻撃してきた人の名前を書いていた(気がする)

 

そこから私は私自身に戻り、彼を保健室に連れていった。保健室でありのままを伝えた。

 

そこから度々意識は彼の中にあり、ねみいといいながら学校内のアスレチックを授業でこなしていた。

 

突如また眠気がおそい(というか注射の作用で死ぬかも)私の意識は私自身のものとなった時、私はこっそり彼を保健室に連れていこうとした。重くて支えられなくなった時にテニス部で外で待機してたメンディーが助けに来てくれた。メンディーと彼を保健室に担いだら学校の用具員のおばちゃんが、「ここの木枯れてんだよね」と私を裏庭まで案内してきた。

 

案内されるがままに歩くと、私が知らない支援級ぽい子達の集まりがあった。その中に小学生の時の同級生がいた(健常児)。

寂しい人間何を思う

肌のツッパリは学生の終わりを告げる

 

これからの未来を明るく照らしてくれる光達

レッサーパンダを囮にかけた戯れに身を包まれて颯爽と帰路に着く。

 

四角い箱と老人を交互に眺める。

 

保険金や終活の広告を見る度に思う

 

身近な命の絶つその時を想像すると、改めて自分の臓器が十数年動いていることに恐怖する。何故人は金銭のやり取りをし、営業をし、仕事をし、意味を見出そうとするのか。

 

狩りと子孫繁栄と眠りのシンプルな生活は私の価値観を果たして変えるのだろうか

 

                “ころり転げた木の根っ子”

 

この言葉を思い出す度生きる動物の愚かさを知る

 

 

右に視線を傾ける、とても寂しい人

 

私はあなたに何もしてない

 

ただ忌み嫌い、食べ物を口にし、衣服を身に纏うだけ。笑顔は愚か、暖かな言葉も交わさない

 

それが無に帰す時、私は何を感じるのだろうか

 

アニメから聞こえる冷酷という言葉に、今は耳がとても心地よいとさえ思える

 

ドアを閉めて部屋にいる時だけはせめて、ただ楽しく在りたい

 

 

今日見た夢

なんかホテルのようなホームセンターのようなよくわからないビルの中にいてエレベータで最上階と1階を行き来していた。

 

リアルでは知らないけど身内みたいなノリの女の子2人とおばさん?とそのビルの屋上で戯れていた。

 

場面が変わって小学校の校庭みたいな所にいた。

何故かはとこもその場にいて、いっしょに何かをしていたら学校の周りから二、三箇所煙が上がっているのを発見した。

 

「火事なんじゃない?!」そうはとこが言った時、爆音が聞こえた。上を見ると小型戦闘機?飛行機?が何十機も飛んできて命の危険を感じた。

 

「日本にも遂に爆弾が来たのか!!!」

 

そんなヤジが聞こえた頃に飛行機は真上に来て急いで皇帝の端にある木や花壇の下に頭を抱えてしゃがんだ。

 

近くに爆弾を落とした飛行機はそのままどこかに行ってしまった。

今日見た夢

教室の隅に立たされる。その向かい側の端には2人組が立たされる。私の横には審判の先生がいる。先生が合図をすると全員手に持っている銃で相手を撃ち、最後の一人になるまで殺し合わなければいけない。私は死にたくないという一心で開始の合図と共に急所を一髪で撃ち抜いていた。5回目以降は泣いていた。

昨日眠れなかった話

昨日バイトに行く時、小学校の通学路だった場所を歩いていた。

 

最近は滅多に空想なんて考えていなかったが、

ふと『今の記憶を残したまま小学生まで戻ったら私はこれからの人生、どんな選択をするのか』という疑問が浮かんだ。

 

疑問が浮かんだ頃にはバイト先に着いてしまったので、家に帰ってから考えようと空想をあとにし、お馴染み寝る前ベッドの中で永遠空想タイムってわけ。

 

さて、小学生まで戻ると言ってもどこまで戻ろうか。

 

初めは卒業間近の6年生を考えたが、人生を良い方向で再スタートさせたいなら、私が覚えている最も古い黒歴史より前がいいだろう。

 

というわけで4年生の春まで戻ることにした。

 

今の記憶を持ち越せるなんてチートすぎる。

 

もし4年生にまで戻れたら、この完成されたINFJの特徴を活かしに活かしまくって聖人になるし、くだらない男の子の煽りや絡みなんて全部クソみたいな愛想笑いで返すし、女の子の闇深い派閥になんか混じらないで一軍でも三軍でもない何となくいい位置で誰からもいい人と思われるポジションにいてやるだろう。

そもそも友達も沢山作ることはしないだろう。

 

子どもの記憶力を活かして、学校帰りはひたすら英語の勉強をして同級生と差をつけるのもいい。

韓国語は既にビギナーレベルだからもう少し後で学んでも遅くはないだろう。

 

あの頃やっていたゲームももう一度本気でやってみてもいい。

 

漢字も漢検2級レベルはわかるのだ。国語のテストもお手の物だし、家にある小説を読む時間がたっぷりある。

 

当時の娯楽であった文房具集めや少女漫画の買い漁りも、精神年齢22歳の私では興味ない。

基礎化粧品と日焼け止めだけはしっかりお金をかけ同級生に差をつけ、あとはただただ未来の自分への投資のために貯めるばかりである。

 

こうした空想を中学生に上がるまでの段階までした頃、また別に、未来を大きく変えるイベントがあることに気づく。

 

部活動である。

 

中学校の部活で学んだことは多かった。特に人付き合いやテキパキ動くことの大切さ、人へのものの伝え方……ここでは語りきれない程、競技以外の人格形成に関わる物事を沢山顧問から教わった(叩き込まれた)のだ。

 

だがしかし、私の頭の中は22歳だ。もうアイディンティティは確立している。

2度もご教示いただく必要は無い。しかもいい事だけでなく、悪いこと(苦しいこと)も大変多かったのである。

 

私が所属していたバレーボール部は顧問が学校1厳しいことで有名であった。

不良が入部すれば、引退には聖人になっていること間違いなしだろう。

 

時には理不尽すぎるお叱りを受けたり、軍隊と周りから呼ばれるほどの扱いを受けていた。(体罰などは無かった) 

 

正直、顧問の厳しさは私の内面を強かにしたが、バレーのコーチとしては相性が悪かったように思う。

 

あれほど運動不足から程遠く綺麗に筋肉がつく素晴らしいスポーツは無いが、2度目の中学生、違う部活に入ってこの22歳の経験生かせたら最強なのではないか。

 

私は空想の中で何度も色んな部活に入って活躍している自分を想像してみた。当時その部にいた人達との相性も考えながら。

 

そこで1番いい部が思いついた。

 

帰宅部である。

 

太らないために運動部にする前提で考えた時、バレー部と卓球部しか思いつかなかったのである。

卓球部に入るくらいなら帰宅部で自分で運動部した方がいい、そう考えたのである。

 

もし万年帰宅部で、毎日学校から帰ってきたらすぐに近所の川辺をランニングし、LE SSERAFIMになれる腹筋を毎日続けていたらそれはもう人生謳歌間違いなしだろう。

絵もしっかり描く時間があるしドラムをしっかり基礎からもう一度学び直し、小学生の時からやっていた(はずの)英語できっとアメリカ人の友達が5人は出来ているはずだ。

 

こんな調子で高校2年生くらいまで私は空想していた。全てをここに綴るのはそろそろ疲れたが、2つだけわかったことがあるのでそれを皆さんにお伝えしたい。

 

まず1つ目は、過去の記憶を思い返すのはとんでもないストレスだと言うこと。自分と向き合うということである。 夜にするのはオススメしない。

 

2つ目は、あの頃に戻れたらこれを勉強したい、あれをしたい と思いついた願望は、今自分に足りないもので、これからでも十分に身につけられるであろうものだということ。

ようは、今の私がやる気無しの根性無しなのである。

 

皆さんもこんな空想をしてみたら、自分に対して新たな気づきや深い理解に繋がるかもしれない。